『松島四大観Plus〜これぞ松島!超絶オススメな眺望スポット』(3/5回)
【松島四大観Plus:#03 幽観・扇谷-編】古くからある「眺望してこその松島」という声と景色を、宮城ゆかりの文人、島崎藤村は「松島の美は天の美と水の美なり」と残し、その変化こそを、見ての松島と表現する。そんな見晴らし絶景を儒学者の舟山萬年は、松島四大観(雄観・麗観・幽観・偉観)にまとめたという。ならば遠足気分でと、幽観・扇谷(松島町松島桜岡入)に足を運んでみましたよ。さぁ、眺望スポットを旅のプランにつけ加え、あなたもフルスイングで松島を満喫してはみませんか?
日本三景随一の眺望を扇谷で楽しんで旅を100%満喫してみよう
お江戸女子、松島の景色は「天のめぐみ」と申される
日本三景随一と称される松島。なぜに随一と称されたかといえば、古典を紐どいていくとなんとなく見えてくる。多くの先人たちが記すのは「眺望してこその松島」ということ。そして、自然の織りなす造形美と変化をおして随一とするふしがある。
そんな様子を、お江戸生まれのお江戸育ち、嫁いで仙台の文学者只野真葛女史は、富山に訪れしとき、”瑠璃の色なる水おもに、浮める嶋どもの、ちらばひたゝなほりたるは、げにめぐみと思はれて、見とも飽くべくもあらず。(『眞葛がはら』著・只野真葛 「松島のみちの記」より)という。なるほど、松島は「天のめぐみ」だそうですよ。
というわけで、松島の旅をゆで卵に例えるならば、瑞巌寺に五大堂、円通院に、遊覧船、そして、牡蠣に穴子の観光グルメのスポットは、その外をなす白身のようなもの。松島の本質を一望するととらまえるならば、眺望をして黄身も食さねば100%満喫のぺろり旅とは行きますまい。
そんな眺望を、 江戸から明治にかけての儒学者、舟山萬年は、100回くらい松島に足を運びつつ『鹽松勝譜』*1を編纂。「松島四大観(壮観・麗観・幽観・偉観)」と呼ばれる眺望スポットを世に知らしめ、現代に至る。今回は、その中の幽観・扇谷について見ていきましょう。
扇谷を、なぜ幽観というのだろうか?
ところで松島四大観は、どれが一番ということではない。あくまでも、それぞれの眺望をその特徴であらわしたスポット。そのことは、
富山ハ麗ヲ以テ勝ル、扇渓ハ幽ヲ以テス、大高森ハ壮ナリ、多聞山ハ偉ナリ、四處對崎シテ松島ノ観全シ
『松島案内』著・岡濯 松島四大観 より
ということばからも見て取れる。ただ、「麗・幽・壮・偉」で松島の景観を網羅するってことでしょうから、四大観すべてまわれってこと?いやいや、先人も無茶を云う。
そして、あなたがこれから足を運ぼうとしている扇谷ですが、なぜ幽観と呼ばれるのでしょうか?
それは、三丈的表現でいうと、ズバリ!静寂さの趣を心に刻め!といったところ。四字熟語をもちいた慣用句に「深山幽谷(しんざんゆうこく)の趣(おもむき)」という表現がありますが、このことばがしっくりくるのは四大観のなかでもここしかない。「人里離れた静かな趣」という、正にそんなところですから。なんでしょう、日本人の侘び寂びのこころにふれにでかけましょうか。
ということで、ここからは、三丈のお散歩写真で、あなたにも侘び寂びのこころにふれてみたいと思ってもらえるとうれしいかぎり。
松島四大観・幽観(扇谷)’Sフォト
幽観扇谷の茶室と参籠
もともとこちらには、藩主ゆかりの茶室があり、海無量寺の参籠も。現在は、それが四阿と達磨堂に。では、なぜ、そうなったか。それは、失火と明治維新。明治維新のころ、当地にて失火騒動が発生。さらに明治維新で伊達家からの瑞巌寺への庇護を失い財政難へ。
その後、扇谷は、なんでも瑞巌寺の改革で送りこまれた南天棒の異名をもつ禅僧の中原鄧州によって手を加えられ、整備しなおされだしたのだという。ちなみに、仙台にあった第2師団の師団長時代の乃木大将は、休日ごと、中原鄧州を訪ねに瑞巌寺に足を運んでいたそうな。
先人たちがみた松島-只野真葛-編
先づ一の宮にまうでけり。ここはてて、松島には舟にて渡らんとて、其のまうけしたるに、さと吹きおろしたる風いとあやにくなり。かくては舟出しがたしといへば、山越の道にかゝる。〜中略〜浪のおといと高う聞えて、海の荒るゝさましるし。此の山ごえをはりて暫しいこひけり。松島には申の時がかりにつきけり。
『眞葛がはら』著・只野真葛 「六 松島のみちの記」より
鹽竈神社(一の宮)で手をあわせて舟にのって松島へ。と思ったら波風で陸路で松島へ。山越えをして夕方16時前後に到着といったところ。塩竈から船で松島入りする、江戸時代も現代も変わらなぬ松島の楽しみのひとつ。
あいにく陸路にはなったものの眞葛女史の描写を読むに、その道すじは、松の梢えにふく初秋の風を感じつつ、鈴虫の音いろと潮騒がおりなす、それはまるで音の街道。浜菊をめで、音を感じる扇谷あたりの山越えも、趣きのある、そんな旅路といったところでしょうか。
幽観・扇谷へのアクセス情報ほか
周辺地図
幽観・扇谷データ
所在地 | 宮城県宮城郡松島町松島桜岡入 |
標高 | 55.8m |
徒歩 | JR松島海岸駅よりおよそ2.4km(徒歩30分くらい)*1 |
車 | 三陸自動車道 松島海岸ICよりおよそ4km*1 |
おすすめ度 | ★★★☆☆ |
難 易 度 | ★★☆☆☆ |
*1 グーグルマップのルートにて計測
*2 おすすめ度・難易度ともに四大観のなかで、三丈の独断と偏見による評価
ワンポイントアドバイス
国道45号線からの、入り口がちょっとわかりにくいです。また、ブップでいっても砂利道を登るので、はじめてのときは「ホントにここ??」と不安になるかと。
そして、駐車場も狭く、トイレなどもありません。また、石段もありますが、完全に整備されているとも言えないので、間違ってもヒールのおしゃれ靴では登らないようにしましょう。
展望の四阿(あずまや)までは、駐車場から5分ほどでたどり着きます。そのため難易度は低め。また、趣を感じとるそんな景色だけに、好みが分かれる部分があるので、おすすめ度は控えめにしています。ただ、個人的にはとても好きな眺めです。
まとめとよもやま話
南天棒こと中原鄧州と夏目漱石
茶室のお話で南天棒こと中原鄧州と乃木大将のお話をちょっぴり記しました。おなじように、南天棒のもとに禅を学びに松島に足を運んだのが夏目漱石。でも、びびってこころが折れたらしい。
そんなエピソードが反映したのか、『草枕』という作品に、仙台の蕃山大梅寺について語られるくだりがある。まぁ、「大梅寺で小僧が頑張っている」という床屋談義のネタだけですけど・・。ただ、瑞巌寺の改革していた鄧州は、守旧派の反発にあい、松島を追われ大梅寺の住職をしていたのでした。
南天棒からは逃げたものの、のちに禅については改めて学ぶ漱石。小説の中の床屋談義のひとコマに、名前があがるだけの大梅寺。なぜ、このお寺の名前が上がったのかと言えば、失火後のこの扇谷をあらためて整備したとされる中原鄧州との遠い縁にあるのかもしれませんね。なんでしょう、物語の点と点を結びつけてあれこれ考えてみるんも、何やら面白いものですね。
ちなみに扇谷と大梅寺、紅葉がにあう感じで同根な空気を匂わせてくる。
松島四大観の幽観・扇谷のまとめ
そんなことより、そろそろまとめ。四大観のなかでは、未整備感の強い扇谷。ただ、深山幽谷の趣を維持すると考えると、現状くらいで塩梅がよいのかもしれない。
また、左右にコンパクトではありながら、ファインダー越しに感じるのは、とても奥行きある景観ということ。というのも、手にとどくような内湾の海面は、とにかく穏やかな表情を見せている。一変して、目を沖合に移してみれば、島々に波がくだけ白波がたつ。なるほど、あの白波は、島々を小舟にみせる航跡波。
そして、これは、個人の感想。扇谷は、金波銀波にきらめく夕陽よりも、朝焼け時の景色かなと。
JR陸前浜田駅の手前の岩井島なのだけれど、ある年の1月1日金華山にいくのに乗っていた仙石線の車窓からみた初日の出。せっかくなので扇に朝日を浮かべてみたい。
ということで、#03幽観・扇谷編はこれにておしまい。次回の#04は、偉観・多聞山編になります。よろしければ、再びのおつきあいをお願いします。
出不精な三丈が云うのもなんですが、たまにはあなたも遠出をして、お散歩しながら文学感じてみませんか。
シリーズ『松島四大観Plus〜これぞ松島!超絶オススメな眺望スポット』(全5回)
#01[壮観・大高森]空と海の共演、松島の壮大なパノラマを一望せよ
#02[麗観・富山]明治天皇・文人らも登りし美しき松島を一望せよ
#03[幽観・扇谷]松島の深山幽谷の趣を、扇にみたて一望せよ←今回はココ
#04[偉観・多聞山]外海の荒々しさ、白波と松島を一望せよ
#05[エクステンド]時間が足りない!?まだある松島を楽しむ眺望は・・
*1『鹽松勝譜』
宮城県内の多くの図書館が所蔵している『仙台叢書 』の别集第四卷にて閲覧可能。読み下すのは大変かもしれませんが、チャレンジしてみよう!