【青葉区土樋】日本、中国、米国わたるメタセコイア、師が重なりみゆる土樋キャンパス

デーマde散歩

【仙メタ:file012】東北学院大学土樋キャンパス-編

【仙台のメタセコイアのある風景:file012】戦後、東北大学旧理学部に2本のメタセコイヤの苗木が植えられ、この株の挿し木が,仙台市内に数多く植栽されるようになったのだという。そんな仙台にあるメタセコイアを追いかけてみようという、シリーズ「仙台のメタセコイアのある風景」、今回はファイル012-東北学院大学土樋キャンパス-編。果たして、どんなメタセコイアがまっているのでしょうか。

カフェも併設、ホーイ記念館(東北学院大学土樋キャンパス)

日本に渡るメタセコイアと宣教師の姿が重なり見える土樋キャンパス

メタセコイアもとめ、めざすは東北学院大学土樋キャンパス

学院大と云えば、Life Light Love(トラストタワーの敷地に残る記念碑)

今回、メタセコイアに会いに行く場所は、東北学院大学の土樋キャンパス。ということで、ちょっと寄り道してSS30向かいのトラストタワーの敷地で記念碑を一枚。Life Light Loveは、仙台の大火の折につたえられた学院を象徴する「お・こ・と・ば」。決して、live love laugh and be happyという婚礼でおなじみの慣用句ではありません。

校舎より背高なメタセコイア

上の画像は、東北学院大学土樋キャンパスの裏側にからの一枚。校舎よりも背がたかく、いかにもキャンパスにあるメタセコイアという感じ。そんなわけで、このこを愛でにお散歩です。

東北学院大学土樋キャンパスのメタセコイア’S フォト

なかなかみるには近寄りがたいメタセコイア。なお、手前のピンク色の建物は、指定文化財〈重要文化財〉東北学院旧宣教師館(明治20年ころの木造西洋館)。

指定文化財の東北学院旧宣教師館の奥にメタセコイアがいる
キャンパスではなくお屋敷の一本かのよう
米ヶ袋におちる途中
木漏れ日もいい感じ

(雑感)岳陽会の卒業記念とありますが・・

植樹の記録

土樋キャンパスにあるこのメタセコイア。植えられたのは、1957年3月とのこと。さて、三丈、実は卒業生ではあるのだけれど、記されている岳陽会については存じ上げませぬ。

ただ、この岳陽、これは中国の湖南省岳陽のことではなかろうかと。で、「東北学院と湖南省岳陽とになにが?」ということになるのだけれど、学院の黎明期に尽力したホーイ宣教師が、新たなる活動先としてもとめたところが岳陽(1900年のこと)。現地にて、学校をつくり、病院もつくり、宣教師としての活動も・・。

されど、辛亥革命以降の政治情勢も不安定ななか、国外への退去命令がたびたび出される状態に。それでも30年ちかくご尽力。1927年、帰米の途上、逝去。骸となりて、故郷ミフリンバーグに帰られている(東北学院史資料センター「東北学院100年」より)。

なお、奥様(宮城学院大学の黎明期を支えたメアリ夫人)は、その後も中国に残り漢口(現在の武漢)に眠る。長女は、宮城学院大学の大東亜戦争後の再興に尽力したガートルード・B・ホーイ(宮城学院資料室年報 第20号(2014年)より)。アメリカから日本に渡り、日本から中国で尽力。そんな魂が、再び日本へ。

なんでしょう、日本の化石からメタセコイアと名づけられ、中国で生きた化石として発見。その後、米国にわたった種子や苗木が戦争を超えて、今度は日本に渡り広がる。ホーイ宣教師とその家族の姿が、このメタセコイアにどうも重なり見ゆる。まぁ、そんな気分にさせてしまう、東北学院大学土樋キャンパスのメタセコイアでした。

土樋キャンパスのメタセコイアに会える場所とアクセスは・・

アクセスマップ

仙台市営地下鉄 南北線 五橋駅より徒歩5分

お子もさんぽが楽しかろう(東北大から学院に抜ける通路にて)

上の画像の奥の白い建物が、ホーイ記念館のカフェというか、パン屋というかの裏口。

ということで、土樋キャンパスのホーイ記念館には、カフェもあります。コーヒーのみのみ、ひっそりボッチでいるメタセコイア(通称「メタボッチ」)を愛でに、さぁ、おさんぽ、お散歩!

【参考】
東北学院史資料センター「東北学院100年」より
宮城学院資料室年報 第20号(2014年)より