【仙メタ:file015】宮城野原公園総合運動場-編
【仙台のメタセコイアのある風景:file015】戦後、東北大学旧理学部に2本のメタセコイヤの苗木が植えられ、この株の挿し木が,仙台市内に数多く植栽されるようになったのだという。そんな仙台にあるメタセコイアを追いかけてみようという、シリーズ「仙台のメタセコイアのある風景」、今回はファイル015-宮城野原公園総合運動場-編。果たして、どんなメタセコイアがまっているのでしょうか。
宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)のゲートキーパーかウェルカムツリーか?
メタセコイアもとめ、めざすは楽天生命パーク宮城?
ファイル015で案内するメタセコイアは、どれで紹介したらいいのだろう・・。宮城野原公園総合運動場?楽天生命パーク宮城?ネーミングライツ無視して宮城球場?うーん、迷いどころ・・。というわけで、適当に混在させつつ、基本、宮城球場と記して行きましょう。
というわけで、今回、足を運んだのは宮城球場。かつては、木の下から先に広がる歌枕にも使われる萩の野原、のちに正宗公が整備をし、松尾芭蕉も歌を残す。また、馬喰がつどい陸奥駒の市が開かれ、かつての馬産地宮城を象徴していた場所も、江戸末期には大根が植えられ原なのか畑なのかの・・。こんな内容のお話は、ボールパークの門横にある「宮城野」案内板で知っている、あなたもそんなひとりではありませんか。
さて、宮城球場周辺は、似たような樹形・樹高のヒマラヤシーダー(ヒマラヤスギ)によって敷地全体が取り囲まれている。そんなこともあってか、傍目には、メタセコイアがあるようには見えない。ただ、球場に入るための門番というか、「さぁ、今日もゲームを楽しもうぜ!」と云わんばかりのウェルカムツリーとして、表口の顔役を数本のメタセコイアがはたしている。
宮城野原公園総合運動場のメタセコイア’S フォト
さすが、運動公園という感じで、学びの場でもあるように珪化木の化石もおかれている。
(雑記)東京岡田会曰く「仙台で一生に一度かもしれないプロ野球のオールスター戦」
三丈の宮城球場デビューは、1992年のプロ野球オールスター戦。オリンピック開催のとき、3戦をするというレギュレーションの最初の年。当然、内野席ではなく外野の芝生席。この日は、霧雨が降ったりやんだりの野球観戦にはそぐわないあいにくの天気。あれは8回でしたでしょうか、当時読売の駒田の打球が高々と霧で霞がかった夜空にまいあがる。
「おーっ!」声をあげながら眺めていると、どんどん近づいてきて目の前に「ズドン!」・・・。思わずビビって身を避けてました。さらにその直後、真上から数人のお兄ちゃんらが「どわ〜っ」押し寄せてもみくちゃに・・。ホームランボール、ばっちこーい!とはいかなかったらしい。ビバ文系!
また、この日、レフトの外野は、阪神の私設応援団「東京岡田会」が音頭をとってエールやチャンスマーチを流してました。そして、観客を仕切るにあたり、「仙台では一生に一度、二度とこないかもしれないオールスター戦」とのご挨拶・・。まぁ、「そうかもしれないけど・・」と思っていたのだけれど、その後、楽天がきて再びオールスターが開かれる。なんとも隔世の感がございます。
宮城球場については、あなたも、なにしらの思い出、お持ちではありませんか?
宮城野原公園総合運動場のメタセコイアに会える場所とアクセスは・・
アクセスマップ
JR仙石線 宮城野原駅 徒歩3分
怪しくメタセコイアをパシャパシャしていたら・・
田中投手に見られていた・・
ということで、メタセコイア以外にも、秋には陸上のウォームアップコースで素敵な銀杏並木にもであえます。野球でなくても、あなたもボールパークをおさんぽ、お散歩!